昨日、32歳の住職さんが荒行を成したというニュースを聞いた。
凄まじい修行もあるものだと思いながら、自分のちっぽけなチャレンジを思い出した。
20代後半となり30歳が見えてきた頃、焦燥感に駆られ何かしなければと思い。
持久力の試される競技に次々と取り組んだ。
フルマラソン
デュアスロン(自転車+ランニングの競技)
マウンテンバイクのクロスカントリー
等など。
もちろん草レースなので素人の趣味なのだが、もやもやしたお年頃のせいもあって、
持久力を試されもがいた先のゴールに何か新しい境地がドアを開けているような、
そんなロマンティックな気分がして次々とチャレンジしたものだ。
しかし実際レースを経験するごとに、印象が変わってきた。
ゴールの先にあるのは、いつもの自分。日常を生きる普通の自分。
レースが終わり、車を運転して家に帰り、
翌日は筋肉痛の足を引きずって待っている仕事をしに行く自分。
ただし、日曜夕方のサザエさんのような切なさは無い。
リセットされて日常に戻っていく感じ。
いつの間にか、このリセットが目的に変わっていった。
以前、たまたま見たTVドラマで、
「ロードレーサー乗りはロードレーサー乗りにしか見えない世界を見ている」
といった台詞があったが、これを書いた人はきっと乗っていないなと感じた。
見えているとすれば、ロマンもへったくれも無い「普通の自分」なのだと思う。
凄まじい修業を成し遂げ、
さらに続く修業の最中の住職の見ているものは何だろうと思いを馳せる。
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